親と子どものエトセトラ
隣の芝生はそりゃあ、青く見えますわ!
とこちゃんWEB担当、浅野です。
さて、唐突ですがこんなふうに思ったこと、ありませんか?
「いいなぁ、あちらのお宅はお父さんが育児に協力的で」。
「ああ、私はあのママみたいに子どもに対してあんなふうに接することが出来ない、ダメだなぁ」。
他にも、
おじいちゃんおばあちゃんが孫に関わる姿を見て、「いいなぁ」。
ご家族全員で園や学校の行事に参加する姿を見て、「いいなぁ」。
公園で他のママの話しを聞いて、「いいなぁ、あの人のご主人は」、「私は同じように出来てない、ガックシ・・・」。
(-_-)
「同じ月齢なのに、あの子はこんなこと出来ている!」
そう、自分や自分の置かれた環境と他人様を比べてしまうのです。
ずるずるとその気持ちを引きずることは無かったとしても、一瞬、そんな気持ちがよぎって、気分が下がってしまうってこと、ありませんか?
いや、場合によってはかなりずるずる引きずってイライラしてしまったり、ご主人に「あっちのパパはやってたよ!」なんて言ってしまって、自己嫌悪に陥ったり。
私は、「いいなぁ」、「あのママはすごいなぁ」、「自分は出来ていない」、と思うこと、沢山あります。
と言うことで、この「比較」について、これまで参加した子育て講演等でお会いした講師の方から伺った話しなどを参考にしながら、考えたことをまとめてみたいと思います。
まず・・・、基本、「隣の芝生は青く見える!」んです!!
人間ってそういうものかな・・・、と。
特に、例えば24時間中のほんの数時間を切り取った、目の前の他人様の姿は、そりゃあ素敵に見えるものなんです!
比較をしてしまうのには、その対象があるから。
「子育て中のママは同レベルの比較対象が多い」。
どうでしょう、子どもが小さい頃(未就学期)の関係は「母親同士」が多い、と思いませんか?
だって、子どもが小さいうちはママと子どもの行動はほとんど、セット。
「同じ月齢の子どもを持つママ同士」とか、「同じように働くママ同士」とか、「同じような環境で子育て中のママ同士」など、比較対象との付き合いが多くなりがちです。
子どもの月齢も同じくらい、生活環境もそう変わらない、「母親」という同じステージに何人も乗っかっている。あっちを見ても、こっちを見ても、比較の対象だらけ。
となれば・・・、ふとした瞬間にいつの間にか比較して、「いいなぁ」と思ってしまっても仕方がないことなのかも知れません。
「これと同じような状況が過去になかったかな」、と考えてみると・・・、
あるある、ありますよ。
若い頃の事を思い出してみて下さい。
同じクラス、仲良しグループの友人に対して、「いいなぁ」と思いませんでしたか?
「あの子は可愛くていいな」、「おしゃれでいいな」、「英語が得意でいいな」、「大人っぽくていいな」、とか。
社会に出てからも、同期入社の仲間や、友人に対して、「いいなぁ」と思うことは大いにありました。
この「女子ステージ」の次のステージが、「ママステージ」なのではないでしょうか?
この、「ママステージ」のちょっとややこしいところは、自分の事だけで無く、「我が子」という大切な存在があるということ。「女子ステージ」は自分の事だけですが、「ママステージ」には、「我が子」という大切な存在がくっついています。そうなると、さらりと流せなかったりすることが多くなってしまうんですよね、きっと。
自分のことだけなら、「仕方が無い」と思えることも、我が子が絡んでいると「仕方が無い」とは思えないことが多そうです。
お母さんでいるって・・・ホント、何と言ったらいいのでしょう?
難しい?神経質になりがち?心も忙しい?
もう、まったくぅ!(^_^;)
さて、最初に書いた、「いいなぁ」の色々。
まず、
・「いいなぁ、あちらのお宅はお父さんが育児に協力的で」。
そのお父さんの24時間を見たことがありますか?
そのお父さん、もしかしたら、今だけ「いいお父さん風」に見えるだけかも知れませんよ!
・「ああ、私はあのママみたいに子どもに対してあんなふうに接することが出来ない、ダメだなぁ」。
あのママの24時間を見たことがありますか?
もしかしたら、ひとたび家に帰ると別人かも知れませんよ。
・おじいちゃんおばあちゃんが孫に関わる姿を見て、「いいなぁ」。
そのおじいちゃんおばあちゃんの関わりが良い感じでも、育児に協力的か、と言ったらどうでしょうか?おじいちゃんおばあちゃんが孫と一緒に居る=育児に協力的、とは限りませんよね・・・。
(逆にあれこれ手を出され過ぎて、ちょっと迷惑・・・、だったりして?)。
・ご家族全員で園や学校の行事に参加する姿を見て、「いいなぁ」。
だからと言って、「いつも一緒で仲良し」、とは限りませんし、たまたま、かも知れませんよね。
・公園で他のママの話しを聞いて、「いいなぁ、あの人のご主人は」、「私は同じように出来てない、ガックシ・・・」。
(-_-)
SNSなんかは特にそうだと思いますが、自分からの発信って、あまりマイナス面は披露しませんよね?
(まあ、愚痴をこぼすことはあると思いますが・・・)。(^_^;)
・「同じ月齢なのに、あの子はこんなこと出来ている!」
得意不得意がありますし、「それだけは出来る」のかも知れません。特に、幼いお子さんの成長のスピードは個人差が大きいですよね。
例えば、育児書などには、寝返りは何ヶ月頃から、ハイハイは何ヶ月頃から、と平均の時期が表になっていますが、早いお子さんと遅いお子さんの月齢の開きを見てみると、その開きは約半年!
寝返りやハイハイをしないお子さんもいるわけですから、早い、遅い、で「いいなぁ」と思う必要はなさそうです。
ホントのところは・・・、と想像するのはずいぶんとひねくれているように感じるかも知れませんが、目の前の姿が全てではない、ということです。
私たちは、想像力豊かに、「全てがそうなんじゃないか」、と勝手に思っているだけ。
その想像力の豊かさ、「自分の未来の芝生に向けた方が良さそう」。
あれこれ考えて、私が到達した結論です。
「この子が小学生になったらお風呂に一人で入れるようになって、その時間に食事の支度が出来るから、その分時間が前倒しになって、子どもが就寝した後の時間が長くなるかも!」
「この子が中学生になったら、部活に入って、日曜日は練習試合でいなくて、読書の時間が増えるかも!」
「子どもたちが成人して、結婚して家を出て、夫婦二人きりになったら・・・!!」
どうなっているんでしょう??
でも、今、他人様のいいところ探しをして、自分の環境と比較してため息つくより、未来の芝生が青々としたものであるように努めた方がいいかも・・・。
どうせ比較するなら、自分の今日の芝生の青さと明日の芝生の青さの方が賢明かも、と思いました。
因みに、浅野からしてみると、とこちゃん子たちも、とこちゃん子のご家族も、「ものすごーーーく青々とした素敵な芝生!」に見えます。
だからこの「比較してしまうこと」について、あれこれ考えてみたんです!
(*^_^*)/˜