我が子を保育園に預けるということ
保育園っ子は・・・
保育園っ子は、小学生になったとき座っていられないとか
保育園っ子は、いろんな意味でたくましいとか
保育園っ子は、習い事させられないとか
保育園っ子は、人見知りしないとか
保育園っ子は、将来グレるとか
保育園っ子は、かわいそうとか
まぁとにかく、根拠のない、時代錯誤な発言です。
保育園に入りたくても入れない人が五万といる=保育園出身児童が多くいる中で
さすがに最近はこんなことを言う人も少なくなりました。
しかし、今もなお、そのような発言を気にする声を聞きましたので注目してみました。
今はライフスタイルや教育方針により保育園か幼稚園かを選ぶ時代です。
たしかに幼稚園と保育園には大きく違いがありますが、だからといって
「保育園っ子は・・・」とか「幼稚園っ子は・・・」という偏見はあくまでも偏見でしかありません。
保育園でも幼稚園でも、座っていられない子はいます。
保育園でも幼稚園でも、たくましい子は大勢います。
保育園に通っていても、お迎えの後や週末に習い事をしているお子さん、大勢います。
保育園でも幼稚園でも、人見知りしない子はいます。
保育園でも幼稚園でも、グレるときはグレます。
保育園でも幼稚園でも、「かわいそう」そんな偏見もってるあなたの方がかわいそう。
なので、そんなこと(根拠のないひとこと)に振り回されず
我が子を保育園(幼稚園)に預けるということの本質を見極めてください。
これまでの保育経験でたびたび感じることがありました。
「育児書にはこう書いてあるけどテレビではこう言ってたし、祖母にはこう言われた。うちの子おかしいのでしょうか・・・。」
育児書もテレビもいったん見るのを止めて、目の前のお子さんを見ましょうか。
「保育園っ子は学校でいじめられると聞きました。そういうお子さんこれまでもいましたか?」
その情報元はどこですか?どちらの学校の話ですか?いじめの理由はご存知ですか?お母さんはいったい何が心配なんですか?
いずれもお子さんへの深い愛情ゆえのこと。
心配するのが親ですから、心配するのは大賛成です。
「心配」は心を配ること、親として我が子への心配りは生涯続くものです。
しかし、「振り回される」親になってはならないと思います。
なぜなら、親は子どもに対する責任があるからです。
おそらくどの団体でも会社でも責任のあるポジションの方は
根拠のないうわさ話や無記名・無責任な意見・不明瞭な情報・被害妄想・誹謗中傷は鵜呑みにしないと思います。
ちなみに、私も母親としての責任を夫とともに担っています。
娘には障がいがあるので「障がい児は・・」と、偏見や思い込み発言を言われたり、冷ややかな視線を感じたりすることがあります。
もちろん、傷つくこともありました。視線が痛いときもありました。
そんなことを繰り返しながらも、今は、娘の(障がいの)本質を見るようにしています。
責任のある立場=まっすぐに「真実」を受け止める存在だと思うからです。
たとえマイナスのできごとが起きたとしても、誰か(何か)のせいにせず、真摯に受け止めたいと思っています。
大事なことは、根拠・裏付けのない出来事やうわさ話に振り回されたり悩んだりしないこと。
大事な存在(我が子)に起こる出来事(真実)は目をそらさず・言い訳せずまるごと受け止めること。
お子さんが誕生した時点で、お母さん・お父さんはお子さんの責任者です。
我が子を保育園に預けるということは、我が子の責任者としての振る舞いをするということ。
参考までに、これまでの保育経験・経営経験・親としての経験の中で、私が感じた
「素敵な責任者」たちの振る舞いをご紹介します。
ある責任者は、まっすぐに物事や人物を捉えて、心配をする人でした。
事態から逃げずに、ちゃんと悩む人でもありました。
時には弱音をはいて、自身も周囲もほっとさせてくれる人でした。
必要なときは、心から叱る人・戦う人でもありました。
またある責任者は、迷ったときは誰かに相談して違う意見を聞き入れる素直な人でした。
そんな人でも常に自分を疑う、謙虚な面もありました。
そして、家族を含め、誰に対しても「感謝と尊敬」を常にもてる人でした。
私は、まだまだこのような責任者になれていないなと感じています。
周囲に振り回されたり、素直・謙虚になれなかったりして、自己嫌悪になることもあります。
でも、私は娘に選ばれ、自分で望んで引き受けた娘の責任者です。それではいけないと感じています。
「物事の本質を見る」ことをキーワードに、真の責任者になれるよう努めていきたいと思っています。