我が子を保育園に預けるということ

連絡帳・おたより

保育園に通いだしたら、おたより(通知文)の多さに驚いたというお声を聞いたことがあります。

〇〇のお知らせ、〇〇のご案内、園だより、給食だより、保健だより、クラスだより、市からのお知らせ、県からのお知らせ、請求書等・・・

何を保管したいいか処分したらいいか、間違えて捨てちゃった、全て保管してたら大量になってしまった・・・

 

たしかに。

私もたった一人の娘なのに、学校から毎日持ち帰るおたより類の管理には閉口しています。

 

そこで、最近では保育園もシステム化が進み、連絡帳からタイムカードから園だよりから、すべての書類や連絡がインターネット上で確認できる時代になりました。

保育園は利用者のニーズに答えるとともに、保育士の業務を簡素化する、また、資源を大事にする意味でも必要以上にペーパーを使わないという、そこには明確な目的があります。

 

多くの園がそのシステムを導入する中で、恥ずかしながらとこちゃんでは未導入です。

やや出遅れてしまいましたが、今後はとこちゃんも上記のような目的をもってシステム化に取り組んでいきたいと思います。

 

ただひとつ、出遅れたには理由がります。

私はまだまだ頭が固いのだと思いますが、連絡帳とおたよりまでをもデータ化することに対しどうしても違和感があるのです。

入退室管理、身体測定結果、睡眠時間、緊急連絡、職員の勤怠管理等をデータ管理することに対しては利便性・正確性からしても効果的だと思っています。

一方、これまで10年以上もの間、愛情込めて手書きでしたためてきた一人ひとりへの連絡帳をパソコンで打つ、クラス担任の個性が発揮される手書きのクラスだよりがシステム化される・・・なんだか悲しいし、とこちゃんがとこちゃんでなくなってしまう気がしてなりません。

もちろん、データとして生涯保存でき、本人が大きくなったときに再び読めるとは思いますが、その時の先生の文字やペンの勢い、雰囲気、ペーパーから伝わる空気感や愛情は伝わらないのではないか、せっかく個性豊かな先生たちがいるのに、先生のカラーも発揮できないのではないかと懸念しています。

 

 導入している園の先生や保護者に聞いてみると「そんなことないですよ。便利ですよ。」と。

そこで気づきました。

とこちゃんは、他園とはひと味違う連絡帳やクラスだよりなのではないかと。

とこちゃんは、他園に比べて連絡帳やクラスだよりに注力してきたのではないかと。

 

変な話ですが、ここに至るまでそう感じることがなかったのです。

連絡帳もクラスだよりも、子どもたちへ愛情をもって接していたら、おのずとこのスタイルになっていき、そうすることは当然のことであり、形に残る愛情表現として保護者にも子どもたちにも喜んでいただけるのではないかと信じて継続してきました。(月末にお渡しするアルバムも含めて)

実際に毎日・毎月書いている職員の負担はたしかにあると思いますが、これは園の方針として理解してもらい、取り組んでもらってきました。決して字が上手とは言えない先生の文章にも、そこに愛情がある。伝えたい思いを感じる。それは、誰が打っても同じフォントで表記される連絡ノートとは違うのではないかと思うのです。

 

我が子を保育園に預けるということは、毎日連絡帳をとおして園での様子を把握し、月1回はクラスだよりを通して集団の一人としての我が子を感じることができるという、親としても充実感が得られる瞬間があるということだと思います。

連絡帳は、我が子の成長記録であり、保護者欄も含めると、保護者・子ども・保育士の3者で共同創作した保育園時代の宝物です。

そうか、宝物で気づきました。

連絡帳を「もの」として存在させたいという思いが、私の中にあるのかもしれません。

データとして保管するのではなく、今のかわいさを、この思いを、形・物で残したい。

暑苦しくてすみません(笑)

でも、昔から私はよく言ってます。

「とこちゃんは、暑苦しいくらいの愛情を表現する場所」です。

「保育士は親ではない。家族でもない。他人である子どもたちに、ちゃんと愛情を伝えたいのなら、暑苦しいぐらいでちょうどいい」と。

 

この暑苦しさと、クール&スマートなシステム化。

暑いの好きだけど、クールダウンも視野に入れねば・・・当面、悩みそうです。

ところで、このタイトルで何を伝えたかったかというと

保育園には連絡帳やおたよりという宝物がありますよ、ということです☆