親と子どものエトセトラ

「寂しいの!」心の叫び?

とこちゃんWEB担当、浅野です。
立春、雨水、と暦が進み、春が近づいてきていますね。
季節が進み、正直、その時の詳しい状況を忘れてしまったほどなのですが、あの時の子供の顔と言葉がどうしても忘れられず、よしこ先生に相談してみた、ある一件についてお伝えします。

状況は、私+双子(3歳目前)の三人が自宅におり、いつものようにわさわさ、わあわあとやっている中、男児の行動が気になり私が厳しく注意。
※何度言っても、ソファの上で飛び跳ねるのを止めない、など、何かをくり返し「止めて欲しい」と伝えても、悪ふざけをしているような表情で(言われることを面白がって)止めなかった、というような状況だったと思います。
すると、男児は泣きわめき、ソファにつっぷして、「さびしいの!!」と叫び、泣いた。

簡単に説明するとこんな感じで、情けないことに、今となっては何の行動に対して厳しく言ったのか、覚えていないのです。

この頃の男児は、私や夫から注意を受けたりすると大きな声で泣きわめくことがありました(昨年10月下旬から11月上旬頃)。

このセリフを受けて、ものすごく「ドキっ」として、「ごめん」と思ったのを覚えています。
顔をくしゃくしゃにして、口をへの字に曲げ、涙を流し、「さびしいの!!」と叫んだのですよ!
詳細は忘れてしまったくせに、その時の事を思い出すと涙が出そうです。本当に驚きました。
「さ、さ、さ、さびしいって何?!」と心がちんぷんかんぷんだったような・・・そんな記憶です。

しかし、自分でも不思議なのですが、表面上は落ち着いていたと思います。
まずは、男児を抱っこして座り、「さびしかったの・・・ごめんね」と伝え、落ち着くまで抱っこしていました。
そして何はともあれ、「寂しい思いをさせた」事に対して、「ごめん」と謝りました。

それから自分なりに考えて、私の結論としては;

母親との時間が少ないから寂しい、とか側に居てくれなくて寂しい、とかそういう物理的「さびしい」ではないだろう、と考えました。
そういったことではなく、「自分の思いが伝わらない」、「自分の楽しいことが共有出来ない」、のような
「伝わらない」という思いが、「さびしいの!」につながったのかな、と思い、「自分をもっと見て!」というメッセージでもあるのかな、と考えました。

なぜなら、保育園はとても楽しそうに出掛けているし、「行きたくない」と言うような事もなく、楽しかったことや、先生、お友達の事を良く話してくれていたので。
また、「さびしいの!」と言われた時の状況や、男児が泣き叫ぶ時を振り返ると、「思いが遂げられない」とか、「やりたいことが出来ない」、とか、「注目して!」というような状況が多いかな、と思えたので・・・。

そして、少し経ってからだったと思いますが、自分の頭も整理出来て、

・「さびしい」と言ってくれて良かった
・「さびしい」と叫ぶのも勇気がいっただろうな

と思えたので、その事について、「ありがとう、勇気がいったよね」と伝えました。

上記は、よしこ先生に相談した時の、ほぼそのままの文章です。

子供の言葉に「ドキッ」とさせられた、ということ、ありませんか?
「ママ(パパ)なんか嫌い!」「あっち行け!」「もう、知らない!」など・・・。
子供は、時にこうした言葉を勢いで言ってしまったりすることがありますし、大人が思うほど真剣にこのようなことを言っていないこともありますが、何でしょう、こう・・・ありますよね。
「こりゃ、いつもと違うぞ」という状況。
今回の一件は、私にとって「いつもと違う」状況で、「こんな対処で良かったのかな」、「男児の心は大丈夫だろうか」、と心配で、その後しばらくの間、男児にはなんとなく慎重に接していました。

これに対して、よしこ先生は、と言うと・・・。

「K君の表現の豊かさに感心しました!3歳前のお子さんが、どこかで耳にした言葉を適切なタイミングでうまく表現出来るのって、かなり優秀です。関心しました」、と。
そして、「表現力だけでなく、感受性も豊かです。きっと、色んな事考えて感じているのでしょう。まずは、K君の可能性がスゴイというのが第一の感想です」と続きました。
また、あくまでもよしこ先生の中の結論として、「本当にさみしい子供は”さみしいの”、とは言えません」と、早く私に伝えたかった、というメッセージとともに伝えてくれました。

・・・へえ!!
保育士さんって、みんなこういう見方をするものなのでしょうか?!
客観的、と言うか、何でしょう・・・、「全ては子供の成長が故!」的な・・・?

確かに、言われてみれば、自分の心にある感情を「さびしいの!」という言葉で表現するなんて、大、大、大、成長だと思います。
そして、確かに男児は感受性が豊か、という気がします。

その後、よしこ先生に時間をもらい、この件について話しを聞いたのですが、よしこ先生曰く、

言葉をどんどん吸収していく幼児期は、言葉を覚えている真っ最中。どこかで耳にした言葉を、どこかで使ってみる、を繰り返しているところ。それが上手く使えていないのもかわいいし、上手く使ってたまげた感じもかわいいし、すごいし、とにかく、覚えた言葉をすぐに使いたい時期なので、それもあったのでは・・・という事でした。

また、現場に居なかったので何とも言えないけれど、「言い訳だった(ちょっと困らせちゃおう的な)可能性もあるかな・・・」と。

・・・ふうん。
言われてみると、男児の性格&状況から、
男児(厳しく言われた)→どうにかこの場から脱却したい→何か言おう→「さびしいの!」とか言ってごまかしてみる?
的な流れも想像出来る。

そして、考え、こんなふうに思いました。
親である私は、この「さびしいの!」の一件を、言葉の意味や、声のトーン、表情など、その場に見えている、聞こえている、そのままを感情で捉えた。
保育士であるよしこ先生は、この一件を、言葉の使い方、子供のおかれた状況、本心は何だ?のような、もう一歩内側の子供を見て、成長の過程として捉えた。そのワンシーンを切り取って考えるのではなく、長い成長の歩みの一歩として捉えた・・・。

もし、男児の発した言葉が「さびしいの!」ではなく、「ボクを見て!」や、「もっとやりたいの!」、はたまた「何で怒るのよ!」だったとしたら、私の捉え方は違っていたように思えます。

そして、言葉の遅かった園児が「ぼくは悲しいんだよ」と伝えてくれた過去のエピソードと共に、言葉の発達の早さに驚いた話しをしてくれました。

こうして話しを聞いているうちに、男児に対して少し心配に思っていたもやもやは消え、男児の将来が楽しみになってきました。現金なものですね。(^_^;)

人間は、感情の生き物です。
男児が「さびしいの!」という言葉を使い、自分の感情を表現したのは(それがごまかしだとしても)、すごいことです。そう考えると、今回のような一件は感情が成長している証でもあるのでしょう。でも、それを受け止める親も(母も)感情の生き物なので、感情がぶつかり合うことがこれからもあると思います。
でも、きっと、それはそれで良いように思います。
客観的に捉えてくれる保育士さんが居て、感情を交えて捉えてくれる家族が居て、子ども達は成長していく。
でも、もし、何か心配なことがあったら、子供の事をよく知り、客観的に見てくれる、保育士さん等に相談してみるといいと思います。「こういう事があった」ということを伝える(連絡ノートなどに書く)だけでも、子供の様子を見て、何かを見つけだしてくれるかも知れません。そう考えると、保育園児は本当に恵まれていますね。
子供を良く知る(一緒に過ごしている)、身内ではない心強い第三者が居てくれるのですから。

また、「この対応で正しかったのだろうか・・・」と考えていた自分は、やはり感情でこの一件を捉えていて、「正しかった」という答えを得ることで、不安を解消しようとしていたのだろうと思います。でも、こういう時って、「正しい」とか、「正しくなかった」という答えは、きっと出ないですよね・・・。

この一件の原因、「何に対して厳しく言ったのか」を忘れてしまった私に対して、
よしこ先生、こんなことを言っていました。
「そんなのいちいち覚えていたら、やっていられないですよ。夫婦も、親子も、喧嘩した原因なんて覚えていられません。私だって、娘に対しては何を厳しく言ったのか、なんて覚えていません。でもね、園児に対しての事は、忘れません。覚えているんですよね・・・」、と。

よしこ先生も、先生の家族に対しては感情の生き物なのだなあ・・・と感じ、

「宇宙人じゃなかった」、と思った浅野でした。

2016-03-02 | Posted in 親と子どものエトセトラNo Comments »