我が子を保育園に預けるということ

保育園の給食

久しぶりにこのコラムを再開します。今田美子です。

これまでの記事を振り返って読み返したところ、「はじめに」の内容に変更がありましたのでここで訂正します。

現在、私は会社の代表であり、園長の職は退きました。

現在は代表としての任務と、保育士確保・育成、事業展開、経理事務、予備保育士、見学対応ほかを担っています。

それともうひとつ。

とこちゃんは開園して間もなく丸13年、もうすぐ14年目になろうというところです。

 

時代とともに、会社は成長させていただき、私の立場も少しずつ変わりました。

しかし、保育に対する熱い思いはまったく変わりませんし、会社の成長=保育の質の向上と

捉えていただけるよう日々勉強しております。今後も保育園運営を全力で努めて参ります。

というわけで、今後もこのコラムをずっと書き続けていきたいと思います。

 

さて、今回のテーマは保育園の給食。

我が子を保育園に預けるということは、イコール我が子の日々の1食を保育園に委ねるということになります。

(おやつも朝と15時にあるので厳密に言うと一日3食)

勤務時間・保育時間によっては夕食も注文することになり、食生活の大部分を保育園に依頼するということです。

 

おそらく、保育園を見学する際、選ぶ際に「給食」はひとつの大きなポイントになると思いますので今回はそこに注目してみたいと思います。

 

 

給食も保育園によってさまざまです。

自園調理(園内に調理室がある)の中でも、調理員や献立作成を他社に委託している園もあれば、

直接雇用&献立を園のオリジナルで作成してる園もあります。

(とこちゃんの献立は、大和市公立園の献立を頂いています。)

調理員の中でも、調理師・栄養士の資格を有している職員と、資格も集団調理の経験もない職員がいます。

(小規模保育の調理員は資格を問いません。)

 

園内に調理室を設置していない園は、必然的に仕出しとなります。

お弁当スタイルです。もしくは、お弁当持参の園や主食のみ持参、おかずのみ持参等の園もあります。

 

まずはじめに

保育園運営者、保育士としてこれを先に申し上げておきます。

 

「給食は保育です。」

 

変な日本語になりました。

給食と保育は別物ではない、ということです。

給食は保育の重要な部分を占めており、保育所保育指針でも「食育」は重要視されています。

ですから、とこちゃんで言うならば

「意欲」をはぐくむ 愛情保育 のなかに、給食も含まれているということになります。

「意欲」をはぐくむ 愛情給食 なのです。

 

ですから、とこちゃんの調理員は外部委託ではなく、直接雇用です。

委託=会社を通しての連絡となり、調理にあたる職員に「とこちゃん保育」の熱い思いを直接伝えにくいと判断しているからです。

 (外部委託を批判しているわけではありません。)

 

給食というのは、栄養をとることだけが目的ではありません。

栄養バランスが良く、かわいい食器で必要量を提供しているというのは保育園では当然のこと。

しかし、本来の保育園給食の目的・効果はそれだけではありません。多岐に渡ります。

 

咀嚼、姿勢、味覚、色彩感覚、嗅覚、食具の使い方、マナー、挨拶、コミュニケーション、苦手な物との対面、感謝、衛生、食材への興味、片付け、アレルギー、健康・・・

 

よく噛んで味わうことで味覚が育ちます。

口周りの筋肉も発達し、発語につながります。

「おいしいね」「いただきます」と自然に発する言葉、語彙や表現が豊かになります。

食前の手洗い・うがい、食後の歯磨き、食をとおして衛生習慣が身につきます。

あの子がお箸を使っているからボクも!

あの子がにんじん食べたからあたしも!

あの子がおかわりしたからボクだって!

お友だちや先生と食事をしながら、意欲もはぐくまれます。手先も器用になります。

気づいたら苦手だなと思っていた食材も食べられるようになったりして♪

先生たちがいつも調理員さんに「ありがとうございます」「ごちそうさまでした」と言う。

この大人のやりとりを毎日見ている保育園っ子は食への感謝、作ってくれた人への感謝を自然と感じるようになります。

 

更に、とこちゃんのような小規模保育は「個別保育」ができる保育環境です。

給食も同様に、「個別提供」を大切にしています。

園児の給食個別データを作成し、月齢・咀嚼力・歯のはえ方、嗜好、その他を保育士に情報を得て記録し、一人ひとりがおいしく楽しく無理なくいろいろなものを食べられるよう工夫しています。

(調理員はご家庭での食事の様子を保護者様に直接伺う機会がないので保育士を通して情報を得ています。)

 

調理員の意識の高さは、保育士のプロ意識とまったく変わりません。

野菜の切り方ひとつ、煮方ひとつを子どもたちの食べ方や残飯量を見ながら

反省したり評価しあったりして、明日の給食づくりに生かそうとしています。

 

とこちゃんでは、調理員も職員会議に出席し「給食会議」をしています。

保育の中の「給食」に焦点をしぼり、みんなで話し合うのです。

そんな会議を私は端からそっと見ていますが、その会議空間に愛情が溢れていて感動します(#^^#)

そして、これまでの経験上、そういう目には見えない愛情というのは子どもたちに必ず伝わります。

 

仮に0歳児(生後6ヵ月)から保育園に入園したとして、小学校入学までの間

昼食だけでもおよそ1,320食を保育園で食べることになります。

その食数だけ、おいしくて楽しくて、我が子の成長の糧になったと思えたら

もうそれだけで、我が子を保育園に預けてよかったと思えることでしょう。

 

しかし、その逆もあるかもしれない、ということもお話ししておきます。

 

私がかつてほんの少しの間、働いていた保育園は「完食主義」の保育園でした。

それは園の方針として保護者にも公表していました。

苦手な野菜を無理やり園児の口に運ぶ、思わず吐き出してしまった子は叱られる、完食できない子は悪い子と言われる・・・。目を疑う行為を、良いことと信じて取り組む保育士たち。

(これは立派な虐待です。その後、行政指導が入り、そのような行為はなくなったと聞きました。)

今年の3月には兵庫県でごく少量の給食が提供されていたことが明らかになりました。

 

我が子を保育園に預けるということは、我が子がそこで「生活」をするということ。

遊ぶ、話す、食べる、シャワーを浴びる、着替える、排泄する、寝る。

保育内容や園庭の有無、行事、持ち物、それらももちろん大事ですが

生きる源である食事(給食)や、個人差著しい睡眠(お昼寝)を丁寧にしているか、個別配慮しているかで

その園の保育の質が見えると言っても過言ではないと思います。

とはいえ、見学の時間はたいてい給食・午睡時間を避けて設定されています。

とこちゃんもそうですが、給食時間は衛生上の理由から、午睡時間は眠い時に見知らぬ人を見ると不安定になりやすいので精神上の理由からです。

しかし、直接の見学はできなかったとしても、質問はいくらでもできます。親としての意識をそちらに向けることもできます。

 

繰り返しになりますが、大事なことは、保育園という場所は我が子が「【生活】をするところなんだ」ということを

親がしっかり認識することだと思います。

単に一時的に預ける場所ではない、何かを習得するために通わせる場所でもない。

保育園で、「我が子は自らの力で生きようとしている」のです。

保育園は、「子どもが自らの力で生きようとする」ところなのです。

 

保育士として運営者として、そして我が子を保育園に預けていた一人の親として、どうしてもこのことを

保護者の皆様にも保育士の皆様にもお伝えしたいと思いました。

大人にとって好都合の保育園が増えています。

保育園が大人のための保育園になってきていることに危機感を覚えます。

保育園は子どもが生きるためにあるのです。