親と子どものエトセトラ

自己肯定感って何ですか?

とこちゃんWEB担当、浅野です。
唐突ですが、「自己肯定感」ってご存知ですか?

最近、子育てサイトや、子育て講座、子育てに関わる専門家の話しなどで、この言葉を目にしたり、耳にしたりすることが増えたと思うのですが・・・、どう思われます?

今回はこの、「自己肯定感」についてよしこ先生と一緒に考えてみましたので、その時の話しをご紹介したいと思います。
でも、その前に。
「自己肯定感」を辞書で引いてみましょうか。

大辞泉には、「自己肯定」という表現はありませんでした。
自己は、「おのれ、自分、自身」とあり、「自己犠牲」などの例が載っていますが、その例の中にも「自己肯定」という言葉はありませんでした。

では、続いて、「肯定」です。

肯定とは、そのとおりであると認めること。また、積極的に意義を認めること。反対語は否定、とありました。

ということは、自己肯定とは、「おのれ(自分・自身)は自分のとおりであると認める。自己の意義を積極的に認めること」、といったところでしょうか?

因みに、「自己肯定感」は英語で、”self-esteem”です。
しかし、これを英和の辞書で引くと、自尊心、自負心、うぬぼれ、などと出てくると思います。
“self” は、自己、自身、自分。
“esteem”は、尊ぶ、重んずる、尊重する、・・・を・・・と考える、信じる、評価する、尊敬、価値、などの意味が並びます。

そうなると、自尊心、うぬぼれ、などと訳されても仕方が無いのかも知れませんね。
こうしてみると「自己肯定感」って比較的新しい言葉なのかな、という気がします。

以前、何かの対談記事で、教育評論家として有名な尾木ママが、「自己肯定は、『自己理解』、『自己認知』とも言いますが、と仰っていたような記憶がありますので、以前は、「自己理解」や「自己認知」という表現だったのかも知れません。

では、もし、あなたが「自己肯定感って何ですか?」と聞かれたら、どう答えますか?

よしこ先生に同じ質問を投げかけてみたところ、

「そのまんま、ありのまま、ですかね・・・。そのまんまを否定しない、とか。
出来ないことがあってもいいと思うので、例えば、『これをやりたい、でも出来ない。そんな自分も認める』というのが自己肯定感だと思います」、とのことでした。

聞くと、保育や子育ての世界にどっぷり浸かってきたよしこ先生にとって、常に最終目標は「自己肯定」なんだそうです。

「自分をありのままの自分でいい、と思って欲しいという気持ちで常に接しているので、正直、『自己肯定感とは?』と問われた事が新鮮です。でも、だからと言って保育の教科書にこの『自己肯定』がキーワードとして沢山出てくるかと言えば、そうではないんですけど」と、よしこ先生。

この、「自己肯定感」という言葉が一般的に良く言われるようになったきっかけのひとつは、内閣府等が行う国際調査の結果があるのではないでしょうか。こうした国際調査では、日本の若者は「自己肯定感」が諸外国の若者に比べて著しく低い、という結果を発表しています。
ここ数十年で日本の国際化が急激に進み、日本と他国の教育制度や、子どもや若者の生活、行動、気質に至るまで様々な角度で調査比較され、その結果がニュースやインターネット記事などで大きく取り上げられる事が増えました。

職場や大学が国際化され、同僚やクラスメイトが外国人というのが当たり前になってきた昨今。
やる気、リーダーシップ、ディベート力、行動力、チャレンジ精神、協調性など、学力だけではどうにもならないような事が外国人と比較されるようになり、教育の専門家達はこぞって学力以外の面でどれだけ「自己肯定感」が大切か、を説くようになりました。
その結果、「国際化してきた社会で我が子が力を伸ばし、その力を発揮するには、どうやら『自己肯定感』が大切のよう・・・」、という理解が親たちの間に広まり、「自己肯定」という言葉が子育てのキーワードになってきたように感じます。

しかし、この「自己肯定感」という言葉には、少し厄介なところがある、と浅野は感じます。

と言うのも、「自己肯定」と言われると、とてもプラスな、例えば「いつも前向き」、「ポジティブ」というようなイメージがありませんか?

「自己肯定」=「自分の良いところを認める」というような・・・。

でも、よしこ先生と話しをして、「いやいや、このイメージは違うぞ」、と思いました。

先に紹介した、よしこ先生の言葉をちょっと振り返ってみましょう。
私が自己肯定感について聞いた時、よしこ先生の答えは、「そのまんま、ありのまま、ですかね・・・」でした。

「そのまんま、ありのまま」は、「良いところやプラスな部分を認める」という意味ではありませんよね。

会話の中でよしこ先生は、「ほんとに自分のまんまを認めることが、自己肯定だと思います。どの人にも長所と短所、プラスとマイナスが必ずありますよね。人の評価はもちろんありますが、自分の長所や短所を決めるのは、最終的には自分なのではないでしょうか?
自分の存在そのものを、『良いも悪いもこれが自分なんだ』、と受け入れる。
自分の良くないところを受け入れる事が出来ないと、それを乗り越えての成長にはつながらない気がします。自分はこれが得意、とか、いいところ、とか自分で認めると思いますが、同じように、これが出来ない、嫌なところ、も認め、そういうところもあるけれど、総じて何となくでもいいから、自分は自分でいいんだ、と思えることが大切だと思います」、と話していました。

うん、だんだん見えてきた気がします。

「自己肯定」が大事だからと言って、「得意」、「出来る」、「前向き」、のような「キラキラ輝く子ども」をイメージして、そこを伸ばす!「我が子の良いところは?」と、プラスなことに集中する、「とにかく褒める!」などではないようですね。

少し角度を変えて考えてみましょうか。
「自己肯定感」があると、どういうことにつながると思いますか?

よしこ先生はこんなふうに言っていました。
「自分を受け入れていれば、相手のことも受け入れられますよね・・・。自分を全否定している人は、人様のことを受け入れる事が難しくなると思います。また、自分のコンプレックスや短所など、いわゆるマイナスな面を受け入れていると、相手にもコンプレックスや短所があることを理解し、受け入れられるように思います」。

「ただ・・・、全部を『これでいいんだ』と思うこと、『あたしこれで全部いいんだ』と思うことが自己肯定ではないと思うので、そこは、勘違いしないようにしたいですよね」とも話していました。

この言葉の意味は、まあ、だいぶ極端な例かも知れませんが、(^_^;) 例えば、
「病院で大きな声を出しても、これがあたしなんだからいいんだ!」とか、
「レストランの中でドタバタ走っても、元気なのがボクなんだからいいんだ!」とか、
「法を犯したけど、それがオレだからさ!」とか、そういうことではない、という事です。

「ダメなことをダメ、と伝えるのも自己肯定につながるのではないでしょうか」、とよしこ先生。

「自己肯定感というのは、あくまで物事の善悪が分かってこそ成立するものだと思います。道徳などは知った上での自己肯定です。例えば、『ダメ』と言ったからと言って、それがイコール自己否定につながる訳ではないと思います。
やはり、物事の善し悪しは教えないといけませんよね。いけないことはいけない、と伝える。
伝える、と言うことは、『あなただったら、このダメが分かると思うから、信じているから言うんだよ』、ということです。
これも、自己肯定だと思うのですが・・・」

ふむ、そうですね。
子どもを信じる、ということは、その子を認めている、ということにつながるな、と感じました。
そこに子どもを信じ、認める気持ちがあれば、「しつけ」も自己肯定につながる・・・。

う~ん・・・。
褒めれば自己肯定感がアップする訳ではないし、褒めすぎだとまた変な誤解を生みそうですし、なかなか難しいですね。善悪や道徳を教える上で、指摘をしなければならないところはきちんと指摘をしたいな、と思いますが、「自己否定」につながるような指摘はやはりしたくないですよね。

どうしたらいいのかなぁ・・・。

「う~ん」、とうなる私を見ていたよしこ先生が、子どもたちと接する時に心がけていることを教えてくれました。

「些細なことを見逃さないことが大切だと思っています。日常の中のほんの小さなことを見逃さないのが保育のプロだと思って。例えば、そろそろ一人でお着替え出来るようになる年齢かな、でも『やだ!』とか言ったりする時は、あの手この手で手伝ってあげたりして、着替えを促しますよね。

それを繰り返して、今日は出来そうだな、という時に、『じゃあ、今日は先生こっちで見てるね』、とちょっと離れて自分でやるのを待つ。やらないのかな、と思ったら自分から着替えようとやり始める。そうしたら、その瞬間を逃さず褒めるんです!やろうとしたその瞬間に褒める!
『出来たね』と結果を褒めるのではなく、やろうとした気持ちに大きな成長があるので、そこを褒めるようにしています。

やり始めたら、『やっぱりやるよね!』とか、『はじめたね!』とか。一言でいいから、ひとつのきっかけを褒める。
トイレトレーニングだったら、足が一歩前に出たら、『今行こうとしたよね!』って。頑張りはじめたその瞬間に褒めると、がぜんやる気になりますよ」。

「あ、ちょっと見えた」と思いました。

出来たことを「出来たね」、と褒めるだけでなく、そこに向かう「はじめの一歩」や、「やろう」と思った気持ち、努力を認めて、声をかける。「出来たね」だけの褒める=認める、になってしまうと、出来ない自分はダメにつながってしまいそうです。そうではなく、やろうとした気持ちや、過程を認める。そうすれば、結果、その時は出来ないかも知れないけど、また挑戦する、出来なくてもやってみる、につながりそうです。それは、最終的に自分を信じる気持ちにつながるのではないでしょうか。それって、「自己肯定!」とそんな気がしました。

「とこちゃんでは、『自己を十分に発揮し』とよく言っていますが、それは、『集団の1として自己を十分に発揮する』、という意味ではなく、『それぞれの自己を十分に発揮する』、というイメージなんです。生まれて三年までの間に他人同士の中でのびのびと自分を発揮出来た、という経験は大きな幸せにつながると思います」、と話すよしこ先生。

うん、うん。
「集団の中で率先して自分を発揮出来るか」とか、「他の子と比べて」とか、「他の子と同じように」とかではなく、「自分が自分らしく自分を表現し、チカラを発揮する」というようなイメージですよね?!

ここまでよしこ先生と話してきて、私が目指したい「自己肯定感」は、「自己肯定」という言葉より、先に紹介した尾木ママの「自己認知」や「自己理解」という言葉の方がニュアンス的にはしっくり来るかな、と思いました。「肯定」という言葉も「その通りであると認めること」という意味なのですが、どうも私にはプラスのイメージが大きいようで、「子どもの良いところに着目する、良いところを探す、」につながってしまい、「ありのままを認める」、「存在そのものを認める」という感覚からは、ずれてしまうような気がします。

もし、私が今、「自己肯定感って何ですか?」と聞かれたら・・・。

「生まれてきて良かった」と思えること、「色々な意味で自分自身をHugしたい感覚(愛おしいと思える)」と答えると思います。
「ママの子どもで良かった」とかではなく、「自分は自分で幸せ。自分をぎゅっと抱きしめられる」という感じです。

どうか、我が家の双子が「生まれてきて良かった」と思ってくれますように。
時々の節目で「色々あったけど、まあ、良し」と思ってくれますように。

因みに、私自身は自己肯定感がかなり低いと思います(^_^;)。
それなのに、子どもの自己肯定感云々、なんて言っていられないと思いますので、自分の事も見直しつつ、自分自身も「生まれてきて良かった」、「総じてOK」と思えるようにしたいと思います(笑)。

あなたにとって、「自己肯定感って何ですか?」

2017-04-28 | Posted in 親と子どものエトセトラNo Comments »